2025年、F1第10戦カナダGP。今季途中からレッドブルへとステップアップを果たした角田裕毅が、ついにグランプリ100戦出走を達成した。かつて「シートを守るのがやっと」と言われた日本人ドライバーが、今やトップチームで記録を塗り替える存在となったのだ。そんな角田の節目に、これまでの日本人F1ドライバーたちの「出走数」という観点からその足跡を振り返りたい。
レッドブル栄光の歴史 歴代ドライバー獲得ポイントTOP10【F1】
F1の舞台に日本人が初めて姿を見せたのは1970年代中盤。ただ、これは日本グランプリに合わせてのスポット参戦が中心であり、本格参戦は1987年の中嶋悟まで待つこととなる。その中嶋悟は、ロータスでアイルトン・セナの同僚となってからティレル移籍後の1991年まで通算80戦出走(日本人4位)しており、最高位は4位。4位に入った1987年イギリスGPでは12番グリッドから雨中の追い上げで4位躍進、ホンダ・エンジンによる1‐2‐3‐4フィニッシュという快挙の立役者となった。
中嶋に続けと、翌年の1988年からは鈴木亜久里が参戦。レギュラードライバーとしてザクスピードから参戦した1989年には全戦で予備予選落ちという悪夢を味わったが、ラルースに移籍した1990年は本来の実力を発揮し、日本グランプリでは日本人初となる、3位表彰台を獲得した。通算参戦数は72戦(日本人6位)。
亜久里と同時期に活躍した片山右京は「カミカゼ右京」のニックネーム通り、常にアグレッシブなドライビングスタイルは多くのファンを魅了した。特に1994年は予選で毎回神がかった走りを見せ、TOP10に入ること8回(当時は全16戦)、特に第9戦ドイツグランプリ、第10戦ハンガリーグランプリでは予選5番手を獲得。日本でも大きな驚きと共に、日本人初優勝の夢が膨らんだが、資金難にあえぐティレルが故か、メカニカルトラブルでリタイアを頻発、夢は夢のまま終わってしまった。通算参戦数は96戦(日本人2位)。