そんな彼の業績と遺産を救ったのが、親友であり同じく数学者であったノーマン・ラトリッジです。

ラトリッジは「陽気な蝶ネクタイの天才」として知られ、生前のチューリングと深い友情を築いていました。

2人は手紙や学術草稿を頻繁にやりとりし、互いのアイデアを高め合っていたとされます。

そしてチューリングの死後、彼の母サラ・チューリングは、息子の資料を「大切な記録になるかもしれない」として、ラトリッジに託しました。

それは未来への、ささやかで確かなバトンだったのです。

「まさか、こんな発見になるとは」

ラトリッジの死後、彼の所持していた書類の多くは妹の家に移され、10年近く保管されていました。

その後も誰もその価値に気づかないまま、長きにわたり紙袋の中に眠ったままになっていたのです。

転機が訪れたのは2024年11月。

ラトリッジ家の親族たちが遺品整理をしていたときのことです。

「A.M. Turing」と記された文書がいくつも見つかり、ただならぬ気配を感じた一族は、レアブックオークションの専門家ジム・スペンサーに鑑定を依頼しました。

スペンサーは紙袋の中を見て、衝撃を受けます。

そこにあったのは、1936年の「チューリング論文」の初版、1938年の博士論文の自筆コピー、そして1952年の最後の出版物など、計算機科学の原点ともいえる史料の数々でした。

「心の中で、これは私の人生で扱った中で最も重要な資料だと確信しました」とスペンサーは語っています。

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オークション前夜には「本当に価値を理解してくれる人が現れるのか」と不安で眠れなかったといいますが、その心配は杞憂でした。

6月17日に開催されたオークションで、1936年の論文は27万9912ドルという高額で落札され、全体では当初の予想の5倍を超える62万7000ドル(約9700万円)という記録を打ち立てたのです。