加えて、「好き」は適正という才能であると同時に、熱量でもある。ほとんどの人は人生を丸ごとベットして前のめりになれるような熱量は持ち合わせていない。
ほんのり「好き」ではあっても、その好きに対して自分の人生をチップに変えられるような人は例外なのだ。
さらに「好きを仕事に」などと言われずとも、情熱的な愛を持つものは他人から提案される前にとっくに数学なり哲学なり、特定の分野や仕事をすでに愛している。故にこれほど無意味なアドバイスはないのだ。
好きでなくても仕事はできる
世間的に「仕事が好き」という感覚は誤解されている。多くの人は「100%ピュアな好きという感情かつ才能を活用できる分野=仕事が好き」と誤解している。
しかし、世にあるあらゆる仕事には「好きな部分と好きでない部分」が混在しているのが普通だ。だから「仕事が好き」といっている人も100%ピュアな気持ちでそう言っているわけではなく、厳密には「好きが55%、億劫な気持ちが45%、トータルでは好きより」くらいの感覚なのだ。
もとい、人は仕事そのものの対象ではなく「勝てるゲーム」を好む。あまり興味がない競技でも勝ち続け、周囲から称賛されれば徐々にその対象を好きになる。
筆者は子ども二人に勉強を教えている。長男は英語好きではないが、ドンドン力がつけて、テストや試験で合格する経験を経て「英語は一番好きな科目ではないけど、友達からすごい!と言われるのは嬉しい」といっている。
つまり、多くの人にとっての仕事の本質とは、後天的に楽しさを引き出すゲームと言えるだろう。
運動、筋トレにやる気はいらない
そしてそれは毎日やっている筋トレと運動も同じである。正直、自分を含め体力づくりに励んでいる多くの人は好きでやっている人なんていないのではないだろう。酒のんでダラダラ過ごす方が脳からドーパミンが出るだろうし、少なくとも体は楽に決まっている。
だが、運動をしなければ可動域や体力が減少し、将来不健康になったり仕事や趣味、日常生活で大きなマイナスになってしまうことは確定的である。