イスラエルは13日早朝(現地時間)、イランの核施設と軍事拠点を破壊するため戦闘機約200機を出動させ、約100か所に攻撃を開始した。以下、「ライジング・ライオン作戦」と呼ばれるイスラエル軍のイラン攻撃のタイミングについて少し検証してみたい。戦争開始にグットタイミングといった表現は相応しくないが、イスラエル側の冷静な地政学的判断が目立つ。

13日が金曜日だったことから、イエス・キリストが十字架に受難した日に当たるとして、キリスト信者の中には不吉な日と考えた人もいただろう。それはいいとして、戦争勃発の前日(12日)、ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)がイランの核計画が不透明なうえ、IAEAが要求する査察などを拒否するなど「イランがIAEAの核監視業務に協力する義務に違反した」と認定する非難決議を賛成多数で採択した。すなわち、イランの核開発が国際機関によって改めて‘問題あり‘と表明されたわけだ。

それを受け、ネタニヤウ首相は13日、「イランは原爆9個分に当たる濃縮ウランを製造し、核兵器を製造できる寸前までにきている。イスラエルはイランが核兵器を製造することを絶対に許さない」と宣言し、イラン攻撃が同国の核関連施設と軍事施設への攻撃が目的であると述べた。同首相にとって、IAEAの対イラン非難決議案採決はイスラエルのイラン攻撃にお墨付きを得たようなものだったはずだ。

次に、イランを取り巻く政治情勢を振り返る。イランはホメイニー師がパリの亡命先から帰国し、イスラム教国家を建設していったイラン革命(1979年)以来、イスラエルはイランの最大の敵とみなされた(イランのパフラヴィー国王時代はイスラエルとは友好関係だった)。そしてこれまでイスラエル包囲網を構築していった。イランのアハマディネジャド大統領は2008年6月、「イスラエルを地図上から抹殺すべきだ」と豪語を発した。しかし、ここにきてイランが長年、軍事支援してきたイスラム過激武装組織がことごとく弱体化してきたのだ。