聖福寺からは少し歩き、眼鏡橋付近の寺町通りへ。東明山興福寺にやってきます。ここも「福」がつく長崎四福寺のひとつです。この寺ゆかりの人物、林老人は隆之に「解夏」についての教えを説きます。
仏教発祥の地インドでは6月に雨季があり、この時期は虫や新芽を殺さないよう修行に入るとされています。これを安居(あんご)といいますが、これが終わる日のことを「解夏」といいます。日本では4月15日から安居に入り、解夏は7月15日。隆之の病気をこの安居になぞらえ、彼が失明の不安から解放される日を解夏であると説いたのです。

解夏を説いた林老人が隆之らを出迎えた大雄寶殿。
小説は隆之がこの寺の山門をくぐったところにある百日紅を見ることができなくなるところで終わります。6月のこの時期はまだ百日紅を見ることができませんでしたが、長崎市の花である紫陽花がきれいに花を咲かせていました。
最後に訪ねたのは「幣振坂」。映画版の「解夏」ではここで隆之らが墓参りに来るシーンがあります。
幣振「坂」といいますが、道の大半はこのような階段。この先に墓地があって、この日も何人かの方が墓参りに来ていたのですが、ここを日常的に上り下りするのはほんとうに大変だと思います。ちょっと登っただけで汗だくだく、脚が震えます。
シーボルトの妻、楠本瀧とその娘で日本初の産科医楠本イネの墓があります。瀧の名は紫陽花の長崎での異名「おたくさ」に残されていますね。
隆之は自身の「解夏」を迎えるまでの間、大好きな故郷、長崎の町を歩きその景色を目に焼き付けようとしました。幣振坂からのこの景色も彼の記憶の中に残すことができたでしょうか。
来月7月は「解夏」の月。小説が描いた季節の中でその舞台をたどることができます。隆之の解夏に向かう恐怖を理解しつつ、長崎の町を歩いて見るのもいいのではないでしょうか。