3:1958年2月5日
同じく核爆弾「Mark 15」を積み込んだB-47戦略爆撃機がジョージア州サバンナ周辺で訓練任務中、F-86セイバー戦闘機と空中衝突を起こした。
戦闘機は炎上して墜落したが、爆撃機は飛行を続けていた。しかし損傷がひどく通常の着陸は困難で何度も失敗し、空中に留まった。
司令部は胴体着陸する場合の爆発を防ぐため核爆弾を投棄するよう指示した。爆弾はサバンナから約20㎞離れたワッソー湾に投棄されたのだが、その後の捜索の甲斐もなく今も発見できていない。
4:1961年1月24日

(画像=USAF –National Museum of the USAFphoto061127-F-1234S-017, パブリック・ドメイン,リンクによる)
2発の核爆弾を搭載したB-52爆撃機は、ノースカロライナ州ゴールズボロのシーモア・ジョンソン空軍基地から離陸したのだが、上空で機体の不具合から制御不能となり、核爆弾1発が落下してしまった。
核爆弾は空軍基地近くの沼地に落下したのだが、徹底的に捜索しても発見されることはなかった。
さらに最悪なことに、回収したもう1つの核爆弾は、4つの起爆装置のうち3つめまで作動していたのだ。沼地に飲み込まれた爆弾も同じ状態なのかもしれない。
仕方なく空軍は連邦政府から沼地を買い取り、その場所でのいっさいの掘削を禁止した。
5:1965年12月5日

(画像=A-4E Photo by Lt. JG Nelson, U.S. Navy –Public Domain)
米空母タイコンデロガの甲板上で離陸の準備をしていたA-4Eスカイホーク攻撃機には1メガトンの核兵器が搭載されていた。
不運にも攻撃機はパイロットと爆弾を乗せたままデッキから転落し、海中へ沈んでいった。場所は鹿児島県喜界島からわずか100㎞の洋上であったと言われている。
当初海軍は事件の隠蔽を図っていたが、1989年になって事件を認めている。しかしこの時に沈んだ機体、パイロット、核爆弾は今も発見されていない。