どのような研究に従事するのか、それは研究者個人の良心や倫理観の問題であって、学術団体で一律に決める問題ではないと思う。

この学術会議の声明には「学問の自由の侵害だ」という反論が寄せられているが、当然だ。政権による任命拒否が「学問の自由の侵害」なら(私自身はそうとは考えていないが)、学術会議も研究者の研究の自由や機会を奪っていると言われても仕方あるまい。

私が問題にしたいのは「学問の自由の侵害」ではなく、学界が自らの「正義」を絶対的なものとして他者に押し売りする点である。

学術会議の声明は絶対平和を追求するのが「絶対的正義」であり、この声明に賛成しないのは不正義だと決めつける。安保法制反対もしかり。集団的自衛権を容認しないことこそが「絶対的正義」であり、どのような観点からであれ容認するのは許しがたい不正義だと容認派を徹底的に責めて、排斥する。その排斥の最たるものが、一国の首相を罵倒し、物騒な言葉で威嚇する行為であり、某大学の賛成派の学長の再任拒絶であったと思う。

学術会議声明批判 戸谷 友則 東京大学大学院理学系研究科天文学専攻

「いかなる軍事研究も禁止されるべきである」という考えが,現在の研究者あるいは一般社会の間で広くコンセンサスを得ているとは到底思えません.「軍事」と「戦争/平和」の関係はそう単純なものではないでしょう。

現実を踏まえると,ある国で軍事研究が禁止されることが,果たして世界平和につながるのかどうかも怪しくなってきます.平和主義に基づいて軍事研究をやめてしまうような国があるとすれば,それは民主主義や人権が確立した「良い国」でしょう.そうした国々が軍事を放棄して,そうではない危なっかしい国々ばかりが軍備を増強するような状況が,人類にとってよいと言えるのかどうか.

学術会議の声明を素直に読めば,学術会議はすべての研究者に対し,この制度には応募しないことを求めており,従わない人は審査制度によって縛るということです.政府や防衛省などより,学術会議のやっていることのほうがよほど常軌を逸しています.一つの団体が権威をもって特定の考えをすべての人に押しつけ,その自由を拘束するというのでは,戦前の軍部と変わりません.