メジンスキー大統領補佐官は、文化大臣も経験した経歴を持つが、政治学の博士号を持ち、歴史に関する著作を多数持っている。その学術的水準についてはうかがい知ることができないが、このように歴史的教訓を都合よく引き出してきたりするタイプの人物であるようだ。

大北方戦争は、300年前の戦争であり、いくら何でも古すぎる印象も受ける。ただ、逆に言えば、なぜこの戦争を参照したのかは気になる。

たとえば5月9日に戦勝記念日を祝った第二次世界大戦の「大祖国戦争」ではダメだったのか? もちろん、いくつかの細かい条件はある。大祖国戦争はロシアではなくソ連の戦争で、ナチス側に加担したウクライナ人もいたとはいえ、ソ連側で戦ったウクライナ人が多数だ。

もっともそれらは本質的な点ではないだろう。文脈から言えば、ロシアが非常に長期にわたって戦争をした過去の事例として、大北方戦争が参照されたようだ。ただし最も長期にわたる戦争としては、「コーカサス戦争」があげられる。1817年から1864年まで、約47年にわたって帝政ロシアと北カフカース諸民族(特にチェチェン人・ダゲスタン人)が戦った戦争だ。

ただ、これは国家間戦争の事例としての印象が薄い。また現在ロシア共和国を構成している民族を敵としている構図になってしまうので、政治的に不適切だろう。戦争が続いていたと歴史に記録されている期間の間の実際の戦闘の断続性も頻繁だ。

断続してもいいのであれば、ロシアがオスマン帝国を押し続けた露土戦争も、全部を総計すると、相当に長い。19世紀クリミア戦争どころか、第一次世界大戦でも、ロシアはオスマン帝国と戦った。しかしオスマン帝国との一連の戦争を参照するのは、交渉会議のホスト役を担っているトルコに失礼すぎる。

大北方戦争であれば、ロシアが、トルコ以外で、継承国が現在NATO構成国になっている事例の戦争だ。そしてロシアが、大北方戦争の結果獲得したサンクトペテルブルグを中心としたバルト海に面した地域は、その後300年にわたって、ロシア共和国領であり続けている(コーカサス戦争の敵方にはアブハジア共和国もあり、現在のロシア共和国に全てが残存し続けているとは言い難い面もあり、いくぶん微妙である)。