エジプトの砂漠に、夕焼け空を背にしてそびえ立つギザの大ピラミッド。四千年以上の時を超え、その威厳を今に伝える。どっしりとした底辺から空へと鋭く伸びる姿は、古代の驚異そのものだ。しかし、この象徴的な建造物はエジプトだけのものではない。
地球の裏側、グアテマラのジャングルではマヤ文明が築いた神殿ピラミッドが木々の上に姿を現す。彼らは儀式のためにピラミッドを築き、その階段を登った。形は似ていても込められた意味は異なっていた。さらに中国では、秦の始皇帝の巨大な墳墓が土で覆われたピラミッド型をしており、その下には有名な兵馬俑が眠る。
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これらの建造物を手がけた人々は、互いに存在すら知らなかったはずだ。言葉も違えば、信仰する神々も異なる。それなのに、アンデスからナイルへ、サハラから長江流域まで、ピラミッドという形は繰り返し現れる。一体なぜなのだろうか?

天を目指す形:ピラミッドの合理性と進化
ピラミッドは単なる象徴ではない。それは物理法則と、重量バランスという最も単純な論理に基づいた形なのだ。広い底面、傾斜した側面。高く積み上げるほど、構造は自然と先細りになる。石や日干しレンガを積み上げ、重力に任せれば、最も安定した形こそがピラミッドなのである。自重で崩れにくく、柱や内部の骨組みなしに何千年もの間、その姿を保つことができる。
エジプトでは、初期のピラミッド型建造物は「マスタバ」と呼ばれる長方形の墳墓から始まった。紀元前2600年頃、ジェセル王が建築家イムホテプに命じ、マスタバを階段状に積み重ねさせたのがサッカラの階段ピラミッドで、エジプト初のピラミッドとされる。後の建築家たちはこのアイデアを洗練させ、クフ王の時代にはギザの大ピラミッドとしてその形状は頂点に達した。200万個以上もの石塊から築かれた壮大な建造物だ。
しかし、その建設方法には未だ謎が多い。中心部の石灰岩は近くから運ばれたが、王の間(おうのま)の上部にある50トンを超える花崗岩の梁(はり)は、800キロ以上南のアスワンから運搬されたという。どうやって運ばれたのか、記録は一切残っていない。ギザの大ピラミッド建設の詳細は、考古学における最も根強い謎の一つであり続けている。