「ミスター・プロ野球」と呼ばれ、戦後の日本人に大きな感動と喜びを与え続けた、文字通り戦後最大の英雄、長嶋茂雄さんが亡くなった。89歳だった。日本のメディアだけではなく、ドイツ民間放送ニュース専門局ntvやオーストリア国営放送(ORF)でも長嶋さんの死去について写真付きで報じていた。

長嶋茂雄氏 1962年 Wikipediaより
当方がまだ日本に住んでいた時、長嶋さんは王貞治さんと共に英雄だった。ジャーナリストになって一時期、スポーツを担当したことがある。王さんが1977年9月、ホームラン数で世界記録を樹立した時、一塁側からモーター付きのカメラでその瞬間を撮影することができたことを今も思い出す。
一方、長嶋さんとの直接の接触はなかったが、思い出はある。48年前頃だったと思う。長嶋さんにインタビューしようと考え、田園調布にあった長嶋さん宅まで行き、インターホーンを押したのだ。 事前にアポイントなど取っていなかったが、ひょっとしたら会見できるのではないかと楽観的に考えていた。しかし、「インタビューは読売新聞の広報部を通じてお願いします」という返答が戻ってきた。当然といえば当然だ。約束なく、自宅まで来た見も知らないジャーナリストにインタビューする著名人などはいない。当方は当時、まだ駆け出しの記者で、あまり考えずに相手に向かって一直線にぶつかる傾向が強かった。長嶋さん宅の玄関から落胆して帰っていった。少々恥ずかしい姿だったはずだ。
それ以降、スポーツ記者としてプロボクサーでは具志堅用高さん(当時ライトフライ級世界チャンピオン)や輪島功一さん(当時スーパーウエルター級世界王者)、野球では人気があった江川卓選手と単独会見できた。大相撲では2代目の横綱若乃花関とも話ができた。しかし、長嶋さんとは会見できずに終わった。当方が欧州に駐在したこともあって、長嶋さんのことはスポーツ紙で報じられるのを読むだけとなった。