1989年6月4日に発生した天安門事件から36年が経ちます。中国国内では事件に関する情報統制が続いており、多くの若者がその歴史を知らないまま育っています。一方で、国際社会はこの事件を忘れず、民主化運動の象徴として記憶し続けています。

事件の直後、西側諸国は中国に対する経済制裁を実施し、国際社会からの孤立を強めました。しかし、日本は比較的早い段階で制裁解除を主導し、中国との関係改善に動きました。1990年代初頭、日本政府は経済協力を再開し、中国の市場開放を後押ししました。この決断は、日中関係の安定化に寄与した一方で、民主化運動への圧力を弱める結果ともなりました。

日本の対応には功罪があります。経済的な視点では、中国の成長を促し、日中間の貿易拡大に貢献しました。しかし、政治的な側面では、中国政府の人権問題に対する国際的な圧力を軽減し、民主化の進展を遅らせたとの批判もあります。特に、欧米諸国が制裁を継続する中、日本の柔軟な対応は中国政府にとって重要な支えとなりました。