最近のコメをめぐる騒ぎをみると、戦後80年たっても日本の農政は変わらなかったと痛感する。この背景には非効率的な小規模農業を温存する社会主義的な農政があり、その起源は戦前にある。経済産業研究所にいたときの元同僚の山下一仁さんと話した2014年6月の対談。
GHQが農地改革をやったと思っている人が多いが、これは戦前から農林省の革新官僚が進めていた計画だった。農政局長の和田博雄(戦後の社会党書記長)は不在地主を撲滅し、農地を小規模な自作農に分割する社会主義的な農政を構想していた。
GHQは不在地主が日本を「封建社会」にして軍国主義を育てたと考えていたので、革新官僚の計画を実現して小作人に農地を分割した。
これによって社会党の中核だった農民組合は攻撃目標を失い、農村は急速に保守化した。マッカーサーはこれを共産主義に対する防波堤に使おうと考え、細分化された農地の売買を原則禁止する農地法をつくるよう命じた。
これに対して地主を基盤とする自由党は反対し、農業の大規模化をしようとした農林省も反対したが、吉田内閣の池田勇人蔵相は保守の支持基盤ができると考え、マッカーサーに賛成した。
この結果、農地は細分化されて小規模な農業が固定され、これを組織した農協が自民党の集票基盤になった。つまり自民党はイギリスの保守党のような大地主の党ではなく、小農の党として生まれたのだ。
「小農の党」自民党が戦後政治の原型これは日本の政治に大きな影響を与えた。最近の経済史研究でわかってきたように、資本主義を生んだのは「産業革命」ではなく、地主や貴族などのジェントルマンの海外植民地による資本蓄積であり、小作農は労働者となって都市に出て行った。これに対してフランス革命で農地を分割したフランスは産業化に出遅れ、いまだに農民の政治力が強い。
日本は戦後、アメリカ型の資本主義を導入したが、農地改革と財閥解体で資本家がいなくなったため、個人の預金を低利で集めた銀行が資本を供給し、サラリーマン経営者が企業の残余コントロール権を握る日本型資本主義が成立した。