だから、企業CEOは基本的に独断専行でいいのです。もしその方針に逆らう従業員がいたら――現トランプ大統領がテレビのリアリティショーで連発して人気を博した言葉ですが――「お前はクビだ!」の一言で済ませていいのが、企業という社会なのです。
ところが、一国の元首ともなるとそうはいきません。国民の中には自分の言うことを聞かない人もいれば、やられては困ると思っていることをやってしまう人もいます。
しかし、国民は契約を結んで国民になったのではなくはじめから国民として生まれてきた人が大部分ですから、気に入らないからといってあっさり「お前はクビだ!」と言ってどこかほかの国に行ってもらうことはできません。
このできるはずのないことを堂々とやろうとしているトランプは、大統領としてそもそも不適格だと自分で証明しているようなものですが、トランプほど露骨ではなくても企業CEOから大統領になった人たちには、統制社会の独裁者のように振る舞う傾向が見られます。
そこで、第二次世界大戦以降大統領や重要閣僚になった人たちの中で、だれが企業CEOの前歴を持っていたのか、順を追って見ていきましょう。
まず、第二次世界大戦直後から1970年代半ばまでは、1960年代以降アメリカがベトナム戦争の泥沼にはまりこんでいったことと、リチャード・ニクソン大統領の任期中に難問山積となったこと以外は、比較的平穏な時代でした。
ですが、第二次世界大戦末期に前任のフランクリン・D・ローズヴェルト大統領の病死によって大統領に昇格したハリー・トルーマンは、ふたつの大罪を犯した人間で、私の見るところではドナルド・トランプと共に大統領不適格者の双璧をなしています。
トルーマンの大罪その1は、日本はすでに降伏に傾いていることを知っていながら、後世に何か偉大な業績を残したいという名誉欲に駆られて、多大な非戦闘員の犠牲が出ることを承知で広島と長崎に原爆を落とす命令に署名したことです。