「丙午(ひのえうま)生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」―こんな迷信が、かつて日本の出生数を揺るがしたことをご存じだろうか。60年に一度巡ってくるこの丙午が、2026年に再びやってくる。現代の日本で、この古い迷信はどのような影響を及ぼすのだろうか。

1966年、日本を襲った「丙午ショック」

 時は1966年(昭和41年)。戦後の高度経済成長に沸く日本で奇妙な現象が起きた。出生数が前年比で約25%、実に約50万人も減少するという異常な落ち込みを記録したのだ。戦争もなければ飢饉も経済危機もない。それなのに、まるで目に見えない力が子どもを産むことをためらわせたかのようだった。

 その「見えない力」の正体こそ、「丙午」の迷信である。

 丙午は、十干十二支(じっかんじゅうにし)という古来の暦の一つで、「丙(ひのえ)」と「午(うま)」が重なる年を指す。この年に生まれた女性は、「気性が激しく、夫を不幸にする」「嫁のもらい手がない」などと信じられ、特に女の子の誕生が忌み嫌われた。

 当時はまだ出生前に性別を知る術がなかったため、多くの夫婦が丙午の年に子どもを持つこと自体を避けたのだ。避妊はもちろん、中絶も急増したという記録が残っている。厚生労働省も、この年の出生数激減の主な原因を「迷信の影響」と公式に認めている。

なぜ日本の出生率は1966年に激減したのか? 60年前の統計が語る迷信の力… “丙午の呪縛”は解けたのか
(画像=画像は「厚生労働省」より,『TOCANA』より 引用)

 さらに奇妙なことに、この年には男の子の出生数が不自然に多く、女の子の出生数が少なく記録されている。これは、女の子が生まれても出生届を前後の年にずらして提出する「生まれ年の祭り替え」といった行為が行われた可能性を示唆している。1906年の丙午の年にも、同様の現象が見られたという。