邪視はなぜ信じられるのか?現代社会に残る「呪いの視線」
科学技術が飛躍的に進歩した現代。それでもなお邪視の信仰は世界各地で生き続けています。トルコ土産のナザール・ボンジュウは人気のファッションアイテムですし、「あの人から邪視を送られた」なんて表現は、怒りや嫌悪感を込めた日常会話として使われることもあります。
なぜ人は、目に見えない「呪いの視線」を信じ、恐れ、そして対抗しようとするのでしょうか。
一説には、邪視とは「妬み」の感情が具現化したものとも言われています。誰かの成功や幸福を妬む強い感情が、視線を通して相手に悪影響を与えるという考え方です。確かに、人間関係において嫉妬や悪意は、時に目に見えないプレッシャーやストレスとなって相手を苦しめることがあります。邪視信仰は、そうした人間の負の感情が持つ力を、ある種象徴的に捉えたものなのかもしれません。
また、予期せぬ不幸や病気に見舞われた際、その原因を具体的な「何か」に帰属させたいという人間の心理も関係しているでしょう。「誰かの邪視のせいだ」と考えることで、不可解な出来事に対する説明を見出し、心の安定を得ようとするのかもしれません。