それだけ聞くと高いように見えますが、江戸時代の馬の価格が25両であることを考えると、そこまで象自体の価格が高いわけではありません。そのため象を購入すること自体は江戸幕府には容易だったでしょう。
しかし象をベトナムから日本に運搬するのは大変であり、それゆえ膨大な費用が必要だったのです。
また江戸幕府では、象を軍事目的に使えるかどうかを見極めるため、長期にわたり飼育する計画がありました。
それゆえ象ならば何でもいいというわけではなく、日本に送る象の条件を決めるのに長い期間がかかったのです。
最終的に渡来した象は7、8歳程度であり、訓練期間に入る適切な年齢であったのです。
象、来日

そして1728年6月、長崎に2匹のつがいの象が上陸しました。
2匹はそこで江戸へ向かうための準備が整うまで滞在する予定でしたが、気候や食事が合わないという理由でメス象が体調を崩し、わずか3か月後には命を落としました。
一方でオス象の方は体調を崩すことなく日本の気候や食事に馴染み、翌29年3月13日には長崎を出発して江戸に向かいました。
4月20日には京都へ入り、京都御所で中御門天皇と霊元上皇に謁見しました。
なおこのとき朝廷では「象といえども無位無官のものが天皇・上皇に謁見するのはいかがなものか」と問題になり、朝廷は象に従四位(江戸時代の武家の場合は老中などの重職に就任した大名や10万石以上の大名に与えられた位階)の官位を与え、象は「広南従四位白象」として天皇に謁見しました。
生まれて初めて象を見た皇族たちは象の姿に衝撃を覚え、
「時しあれは 人の国なる けたものも けふ九重に みるがうれしさ(かねてから興味のあった外国の獣をみることができて今日はすごく嬉しい)」中御門天皇