つまり、特定の美しい要素を見ることよりも、視線が自然に空間全体を流れることが、心を癒す鍵になっていると考えられるのです。
この水平な視線移動は、PTSDなどの治療で知られるEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)と似ているという指摘もあります。
これは左右の眼球運動が神経系に働きかけて、ストレスの再処理や緩和を促す手法です。
無意識のうちに日本庭園がその“自然療法”を誘発していたとしたら、驚きでしょう。
「何を見るか」ではなく「どう見るか」が鍵
さらに興味深いのは、庭園内のどのオブジェクトに注目したか(橋、水、植栽など)と、心拍数の変化には明確な関連がなかった点です。
つまり、「何を見たか」ではなく、「どう見たか」が決定的だったのです。
研究では、無鄰菴では視線が遠近、上下左右にわたって立体的に動いていたのに対し、学内の日本庭園では視野が限定され、視線も前方中心に偏っていました。
特に無鄰菴では、水の流れが斜めに配置されており、視線を自然と左右に誘導する設計がなされています。
また、背後の東山の借景や剪定された木々の隙間から見える遠景も、視線の広がりを後押しします。
このように、計算された空間設計と丁寧な維持管理が、「見る」という行為そのものを変え、それが心と身体にまで影響を与えるのです。
実際に、都市計画を学ぶ学生(日本庭園に詳しくない)でも、無鄰菴では大きなリラックス効果が確認されました。
むしろ、初めて見る人ほど効果が高い可能性すらあります。
美しい日本庭園を見るだけで心が癒される—。
それは偶然ではなく、人の視線をデザインとしてコントロールする、繊細かつ巧みな空間演出によって生まれる「設計された癒し」なのです。

この研究は、単に日本庭園の魅力を再確認するだけではありません。
無鄰菴のような設計と手入れが行き届いた空間は、非薬物的なストレス対策としての可能性を秘めています。