結局、国会答弁書も官僚の腕1つにかかっているわけですが、官僚が必ずしもシャープかどうかはこれまた別だと思います。「官僚たちの夏」という城山三郎氏の小説はその時代のビジネスマンには必読でありました。佐橋滋 通産事務次官をモデルにした作品でそれは熱く日本の産業を真剣に考え、官僚のモデルともいえる存在だったでしょう。ですが、今や海外に行きたくない外交官とか、以前、靴が汚れるとおんぶさせた官僚もいましたが、官僚のレベルも下がってきている可能性もある中で官僚作成の答弁書を鵜呑みにせざるを得ない多忙な首相というのも責められない気もするのです。
今回、石破首相が苦しい弁明を余儀なくさせられているのが年金改革法案。これは石破氏にとっては運悪く、5年に一度の公的年金の財政検証が2024年にありました。その中で「2057年に基礎年金部分が今より3割下がる」という報告された対応が今回の年金改革法案なのですが、個人的には与党、野党とも主張の論点がずれている気がします。アンコのアンないのではなく、議員の案がないのではないか、という気がします。この問題を小手先の補充的な措置でやり過ごすべきではないのです。かなりグローバルな観点から国民の最低限度の生活水準を維持するための方策を考えるべきで、そんな年金の金額がいくらというレベルの話ではないのです。
ということはアップアップの石破氏には石破氏が持てる能力を発揮する余力はなく、厚労省が作る答弁書をそのまま読み返さざるを得ないわけです。
そこにもってきて江藤拓氏ののけぞるような発言にかばい切れなくなったのもまた事実。世間は「私はこれで大臣を辞めました、by 軽口」でひと月もすれば忘れ去られるかもしれませんが、米の価格が全然下がらない=消えた備蓄米はどこに、はその原因を見つけ出すべきでしょう。それこそ、先日自宅のコメにGPSを入れたら近所の学校の先輩が盗んでいたという事件がありましたが、いっそうのこと、備蓄米にもGPSを入れたらよいではないですか?