努力が報われないと感じる背景には、大きく2つの要因がある。

1つ目は努力ではなく、徒労に終わっているケースだ。労働生産性の低さを長時間労働でカバーしたり、何年も同じポジション、同じスキル、同じ成果物を出し続けるという努力であればどこの会社でも努力として評価することは難しい。労働市場価値は変わらないからだ。

会社が期待する努力とは、長時間労働ではなく労働生産性の向上だ。たとえばデスクワーカーがVBAを勉強し、マクロ開発を行うことで業務プロセスを自動化、高速化することで同じ結果を短時間でミスなく実現する、というものである。

仮に月次集計の処理時間を30分から5分に短縮すれば、年間で50時間以上の余力が生まれる。月給30万円とすれば、およそ7.5万円分の付加価値を生み出していることになる。

デスクワークや頭脳労働に従事する人にとっては、こうした定量的な成果が見える化することで初めて評価対象になると考えるべきだろう。

成果は数値化しPRが前提

もう1つはPRだ。上司や経営者といっても一般職と職位が違うだけでしょせん同じ人間に過ぎない。彼らは自分の仕事を頑張っており、すべての部下の一挙手一投足まで追いきれないことも多いだろう。

部下が黙っているだけでは上司に頑張りは伝わりにくい。そこで人事評価面接時などでは、定量的に生産性向上の結果をプレゼンする必要がある。

筆者は米国系外資にいたのでよく分かるが、人事評価シーズンになるとどこの部署でもいかに自分が結果を出したか?ということのPR合戦が始まる。同じ部署内の同僚はライバルであり、このプレゼン力で差がついてしまう要素は正直、かなり大きい。

控えめな日本人にはあまり受け入れがたい文化の違いだが、仕事場ではモードを切り替えて積極PRが必要だと考えるべきだ。

会社の人間関係は長年連れ添った夫婦でないのだから、黙っているだけで頑張りがすべて認められるのは厳しい言い方をすると「甘え」である。