過去の教皇の中には、自国の重要なサッカー試合をぜひとも観戦したいため、教皇庁のプロトコールを変更した教皇がいた。教皇として27年間の長期政権を担当したポーランド出身のヨハネ・パウロ2世だ。教皇に選任された1978年の10月22日、落ち着かなかった。その夜、ASローマとFCボローニヤのサッカー試合がテレビで中継されるからだ。どうしても観戦したかった。そこでヨハネ・パウロ2世はプロトコールを早め、夜テレビ中継が観戦できるように調整した。大したものだ。同2世はクラクワの子供時代、サッカーが大好きで、ポジションはゴールキーパーだった。
サッカーといえば、書物の人ベネディクト16世には面白い話がある。同16世が2,005年8月、ドイツのケルンで「サッカーの神様」ペレの接見を受けた時だ。ベネディクト16世は目の前の人物が誰か分からなかったので、「あなたはブラジル人ですか」と聞いたという。バチカン教皇庁側近が慌てて「彼は世界の偉大なサッカー選手のペレです」と耳打ちしたという。
ベネディクト16世の出身地ドイツは南米に負けないほどサッカー国だ。ベネディクト16世の出身地であるバイエルン州にはFCバイエルン・ミュンヘンという強豪チームがある。ところで、ヨーゼフ(ベネディクト16世の本名ヨーゼフ・ラッツィンガー)はサッカーを興じる子供たちの中に入って一緒にプレイできなかった。上手くなかったからだ。何時もベンチに座っていた。だから、サッカーとは次第に縁が切れ、書籍の人となったというのだ。
ちなみに、バチカンにもクレリクス・カップ(Clericus Cup)というサッカーリーグが存在する。リーグ戦には19歳から57歳までの神学生、神父たちが、出身国別ではなく、機関所属別に分かれ、バチカン近くにあるペトリアナピッチで試合が行われる。
サッカーの話が続いたが、米国初の教皇に選出されたレオ14世の場合、サッカーの話は聞かない。やはりベースボールだ。レオ14世はシカゴ出身だ。同地を本拠地にする大リーグのホワイトソックスのファンとして知られている。それだけでない。レオ14世は大のテニスファンであり、自身もテニスをする。レオ14世は今月14日、男子テニス世界ランキング1位のヤニク・シナー選手(イタリア)とバチカンで面会し、シナーさんからラケットの贈呈を受けている。