その一方で反対派の意見は上司の選択が頻繁に行われると、組織の安定性が損なわれるというリスクや、上司の選択が人気投票のようになり、実力や適性よりも「気楽な人間関係」が重視されるリスクがあるというものだ。
筆者は「反対」
賛成・反対両派の主張を踏まえた上で、筆者は「上司選択制度は、安易に導入すべきではない」という立場を取りたい。理由はシンプルで、企業という組織において“働きやすさ”と“成果責任”はしばしば相反する緊張関係にあるからだ。
多くのビジネス現場では、ある程度の強制力や目標プレッシャーがなければ、組織全体のパフォーマンスは維持できない。これは制度への賛否以前に、組織行動論やマネジメント論で繰り返し語られてきた前提でもある。
たとえば、過去記事で何度か書いたが、リモートワークも、数年後には多くの企業が「出社回帰」へと転じた。特に米国のメガテック各社がその先陣を切った事実は、「自由度と成果責任の両立」がいかに難しいかを象徴している。
企業の目的は利益の創出と持続的成長であり、「働きやすい環境」や「上司との相性の良さ」はあくまでその目的達成のための手段である。もちろん離職率の低下やエンゲージメント向上は重要だが、それらが“企業存続の前提条件”を脅かすようであれば、本末転倒になりかねない。勤務先が消えれば「働きやすさ」など吹き飛んでしまう。
特に、サービス業・小売・物流・製造といった現場重視の産業では、生産性向上=現場負荷の増大という構図が避けられないことも多い。
もし、部下の選好に応じて「厳しくマネジする上司」が敬遠され、「これまでの半分のペースに落とし、気持ちにゆとりを持って仕事をしましょう」と言い出す「迎合型の上司」が好まれるようになれば、部下にとって快適さは得られても、組織全体の競争力は確実に削がれる。
企業が高い報酬を支払って求めるマネージャー像とは、「一定の快適さを保ちつつ、成果に責任を持てる人材」である。その意味で、全方位から好かれる“理想の上司”が、企業にとっても最良の上司であるとは限らない。