少し前の日経に「子が親を超えられない世界」いう編集委員記事があります。冒頭、フィッツジェラルドのギャツビーの話が出てきたので、グレート ギャツビー カーブの話だろうな、と思いましたが、案の定そうでした。ギャツビーカーブについてはずいぶん昔にこのブログで書いているので今回は触れませんが、一言で述べると横軸に貧富の格差、縦軸に親子間の所得の連動性を取り、国ごとにそれをプロットしていくと右肩上がりになるというもの。これの意味することは貧乏人の子は貧乏人になりやすいことを示しています。ちなみに日本は中位にあります。
ではもう少し現実的に考えてみましょう。本当に子は親を超えられないのでしょうか?
私の見立ては国ごとに税制が大きく違い、グレートギャツビーカーブが必ずしもApple to Appleにならないとみています。例えば相続税がないカナダや控除額が1300万ドル(約19億円)もあるアメリカならば富裕層の子供が親から貰えるお金は巨額になり、労せずして富裕という地位を得ることができます。特に不動産が高騰した北米では親が会社経営者ではなくても不動産持ちの方は10億、20億円ぐらい持っている人はいくらでもいるわけです。(いくら相続税がないと言ってもキャピタルゲイン課税はあるので全部もらえるわけではありません。)

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一方、日本は富裕層でも3代目には普通の家になると言われるほど税金でむしり取られます。日本人がいつまでたっても働き続けなくてはいけないのは神道で神々が働く国だからというより税務当局がチューチューとお金を吸い上げる仕組みが歴史的に全く変わらないことにあります。では日本ではて誰がお金を持っているのでしょうか?それは会社であり、その内部留保や資産であったりします。では会社は誰のもの、といえば社会的意義や教科書的には従業員とかすべての関係する人たちと言ったりしますが、実際には株主がもつ権限は大きく、その株主はプライム上場企業についていえば海外の投資家とか日銀、国内の生保、機関投資家だったりするわけです。つまり日本人は税務当局のみならず、国内外の機関投資家などからもむしり取られ、いつも貧乏くじになるわけです。これはあくまでも金銭的尺度の問題です。