「草」だけをみているから、そうとしか読めないのではないだろうか。

296-7頁 「草」の意味も拙著にて ただしヒントはこちら

と、書いたりしている。

よく言われるが、日本では批判(critique)と非難(criticise)を区別できない人が多い。問題の所在を明確にし、ブラッシュアップしあうための批判(ないし批評)と、相手をあしざまに言い、ネガキャンをしかけるための非難は、別のものだ。

……というのは本来、大学の人文学で最初に習うことだったけど、いまや大学の文系教員が率先して、まともな批判に対して「非難された! 誹謗中傷ガー!」とSNSで騒いだり、批評と称して単なる下品な悪口を言いふらしたりするので、ますます忘れられるようになった。

Blueskyという「遠吠えメディア」: オープンレターズは ”嘶き” 続ける|Yonaha Jun
「オープンレター秘録」はあと3回は続くのだが、新たな回を割くには矮小なネット中傷が行われたので、以下と同じく単発で手短かに。 BlueskyというSNSがある。イーロン・マスクが買収してXに変わって以来、「Twitterの居心地が悪い」と感じる人の引っ越し先のひとつだ(他にはMastodonとThreads)。とは...

そうした幼稚な「お子様言論人の時代」を、ぼくらは卒業してよいころだ……というか、近年「幼児化」が進みすぎただけで、もとはそうではなかったと示すのもまた、拙著の大きな眼目である。

象徴として書中に入れた、1枚の写真がある。

戦前以来の文芸評論家だった平野謙を囲んで、「戦後デビュー組」の小説家が語りあう座談会を撮ったものだ。えっ!? と驚く組みあわせの人たちが、実際に同じテーブルを囲んでいることがわかる。たまたまとはいえ、右端と左端があの人とあの人なのも、なんとも言えない。

右から石原慎太郎、椎名麟三、平野謙 左から大江健三郎、松本清張、安部公房 『文學界』1959年1月号より