「小谷野敦氏投獄」といったネットニュースで笑ってみたい気持ちが、ないと言ったら嘘になるけど、この程度の悪口芸を認めずに、法的な難癖をつけて言論を萎縮させるのはぼくの趣味でないから、開示請求とか、勤め先への弁護士書簡とか、民事訴訟とかも含めて、なにもしないでおく。

実は、かつてぼくは結構な小谷野読者でもあったので、拙著でも採り上げる『敗戦後論』論争について、同氏がむかし、

歴史と民主主義の戦いでは、民主主義に支援せよ: 30年目の「敗戦後論」|Yonaha Jun
3/10の毎日新聞・夕刊に、川名壮志記者によるロング・インタビューを載せていただいています。先ほど、有料ですがWeb版も出ました。
特集ワイド:昭和100年 平成はどこへ 消えた「時代の刷新」 與那覇潤さんに聞く | 毎日新聞 歴史軸を失った私たち  ちまたでは「昭和100年」が話題になるが、へそ曲がりなの...

2000年に柄谷〔行人〕は、資本制を解体すると称して「NAM」の運動を始め、……たちまち瓦解するという経緯を経て、文藝評論家の帝王の地位を失い、加藤〔典洋〕が半ばこれにとって代わるという、何のことはない、柄谷ー加藤の関ヶ原の戦いのようなものが、『敗戦後論』論争の本質だった。

小谷野敦『現代文学論争』279-280頁 (算用数字に改め、強調を付与)

と書いていたのも、知ってたりする。

関ヶ原と独ソ不可侵条約のどちらが、人類史上でより重大な事件かは自明だろう(苦笑)。そこまでのショックだと書いてもらえるなら「まぁ、いっか」くらいに思って流すのが、批判や批評の自由を守る作法である。

ちなみに、前にぼくは「面識のない人と思い出を作る名人」と書いたけど、今回の帯も上野さんとは会って話したことがないのに、貰ってしまった(後にお会いしたので、その話はまた後日)。