しかし、武装闘争路線により共産党は1953年の総選挙で惨敗した。党史である『日本共産党の70年』によると、武装闘争路線は徳田球一、野坂参三分派によるものであり、党の正式の方針ではないとされる(同書上巻240頁 新日本出版社)。

共産党の理論的指導者である不破哲三元議長は著書『人民的議会主義』で「わが党は革命への移行が最終的には敵の出方にかかるという立場を取っている」と述べている(同書244頁 新日本出版社)。いわゆる「敵の出方論」である。これは敵の出方次第では「暴力革命」を否定しないということである。共産党は現在も「敵の出方論」を明確には否定していない。

日本で「暴力革命」は可能か?

戦後の一時期ではあるが、上記武装闘争路線は失敗に終わっている。失敗の原因は労働者階級を含めまったく国民の支持が無かったことと、占領軍の存在が大きい。

この教訓により、現在の共産党は暴力革命路線ではなく選挙による多数者革命路線を取り、共産党を中心とする統一戦線政府である「民主連合政府」の樹立を目指している(2004年党綱領)。しかし、共産党は上記の通り「敵の出方論」を現在も明確には否定していないから、「暴力革命」の可能性は否定できないと言えよう。

なお、1970年代にはマルクスやレーニンの革命理論を信じた新左翼や学生、若者による暴力を伴う反体制運動があったが、失敗に終わっている。これは暴力革命路線が高度に発達した先進民主主義国である日本の実態と大きく乖離していたためと言えよう。

このように、日本ではマルクスやレーニンが主張する「暴力革命」は不可能であり、選挙による政権交代の可能性しかないと言えよう。

仮に、「敵の出方論」を含め、暴力革命を目指す武装闘争が行われたとしても、多数の国民世論、警察力、自衛隊、在日米軍によって鎮圧され、決して成功しないであろう。暴動を起こせば、法的には死刑を含む「内乱罪」(刑法77条)が適用されるであろう。なお、成功の可能性が無いため、中国や北朝鮮の介入もないであろう。