自分も仕事と家庭で毎日たくさんのタスクがあるので、怒って感情をスッキリさせるのは贅沢品で、時間がもったいなくて使えないという感覚がある。
上述したように攻撃してくる相手に反応しないというだけでなく、胸糞悪くなるような悲劇的なニュースも見ない。付き合って不快にさせられる相手とも関わらない。時間がもったいないからだ。
自分に限らず、忙しい人は怒らない。
怒らない人は怒りはムダと考える
まるで悟りを開いたような話に聞こえるかもしれないが、怒りというのは基本的にムダな感情だと思っている。
スタンフォード大学の研究によると、怒りが持続すると判断力をつかさどる前頭前野の活動が一時的に鈍るという結果もある。
人間関係についていえば、怒らずとも対話して相手と意見交換をして解決すればいい。もしも対話ができないなら自分の落ち度で関わる相手を間違えているので、反省して静かに相手から距離を取ればいいのだ。
怒りは利益ではなく、常にコストである。怒りには必ず対象が必要となるので、その相手に振り上げた拳をおろし、やりすぎたら落ち込んだ相手の精神的フォローをし、下手をすると社会的に超えてはいけないラインを超えてしまうことだってある。
つまり、最初から最後まで時間やエネルギーという資源を手出し一方なのだ。だから可能な限り、人生から排除するに越したことはない。
それでも怒りを使う場面があるとすれば?
怒りという感情は多くの場合、相手を動かす道具として機能する。親が子供に「片付けなさい」と怖い顔をするのは、心の底から腸が煮えくり返っているというより子供に片付けという行為をさせるためだ。
長い対話をスキップして怒り一つで相手を動かせるなら低コストに思える。だから話し合いの代わりに怒りを選択する人は多い。
だが、実際はそうではない。怒りは繰り返し見せると慣れるし、「手までは出してこない」と逆に舐められることすらある。だから怒りは伝家の宝刀で、頻繁に抜いてはいけないのだ。