アルゼンチンの最高裁判所の地下室から、ナチス・ドイツのプロパガンダ資料がぎっしり詰まった数十箱もの木箱が発見され、大きな注目を集めている。第二次世界大戦中にアルゼンチン当局によって押収されたこれらの資料は長年忘れ去られていたが、このほど偶然再発見されたのだ。
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81年の時を経て…倉庫整理中に見つかった謎の木箱
発見のきっかけは、裁判所の地下倉庫の整理作業だった。新たに設立される博物館へ収蔵品を移動させる準備を進めていた職員たちが、忘れられたように置かれていた83箱の木箱を発見したのだ。 裁判所関係者が収集した情報によると、これらの文書は1941年6月20日、東京のドイツ大使館から送られ、日本の蒸気船(Nanamaru)によってアルゼンチンに到着した83個の外交行嚢(外交文書などを入れるための袋)だった。
驚くべきことに、この大量の荷物は当時、ブエノスアイレスのドイツ大使館によって「個人的な所持品」として申告されていた。しかし、その荷物の大きさに疑念を抱いた税関職員はアルゼンチン外務大臣に報告。当時、第二次世界大戦において中立の立場をとっていたアルゼンチンの安全を脅かす可能性のある物品が含まれているのではないかと懸念したのだ。
ランダムに5つの行嚢を開封したところ、中からポストカード、写真、そしてナチスのプロパガンダ資料が発見された。これにより、すべての行嚢が押収されることとなった。ブエノスアイレスのドイツ大使館は行嚢を東京の大使館に送り返すよう要求したが、アルゼンチンの裁判官は1941年9月、83個すべての行嚢の押収を命じた。その後、これらの資料をどうするかは最高裁判所に委ねられたが、どういうわけか、そのまま81年間もの間、地下室で忘れ去られていたようだ。