政治の生産性向上の成果は企業のそれの比ではなく、国家社会全体に大きな影響を及ぼすものである。それだけに政治こそ生産性ということが大切ではないだろうか――松下幸之助さんは、こう述べておられます。先々月28日、日経新聞に「国会の非生産性、日本停滞の象徴 計算式で考える打開策」と題された記事が載っていました。国会活動を評価する人は「世論調査で29%と低位安定する。国会議員の労働生産性を上げるにはどうしたらいいか」との指摘より始められています。国会あるいは国会議員の生産性というのは、如何にしてはかるべきでしょうか。
昨年の通常国会では「政府が提出した法案は62本で、そのうち61本が成立。成立率は約98.4%でした。これは過去10年でみると2022年の100%につぐ数字でした。議員提出法案は8本が成立しました」(24年6月24日政策ニュース .jp)。しかし、此の率や数で以て生産性の高低が決まるわけでもないでしょう。国民からしてみれば、至極妥当な法案こそは全て通して貰わなければなりません。他方例えば「選択的夫婦別姓」などは関心すら無い人が多く、国会での貴重な審議時間を浪費し続ける程に大した話ではありません。実際5月の『JNN世論調査で、夏の参院選で最も重視する政策を聞いたところ、最も多かったのは「減税など物価高対策」で28%』に対し、「選択的夫婦別姓」は9位で1%に過ぎません(5月4日TBS NEWS DIG)。
こうした類の法案に執着するがゆえ余計に生産性が低くなるのです。国政政党たる数多の本来的重要事項に対する国会審議を等閑に付してはなりません。前回この「北尾吉孝日記」で次のように述べた通り、今国会で言えば一つにトランプ後の世界に不可思議な利権等を摘発し変革を齎すべく、我々の血税が充てられるのが政治でありましょう――いま我国でも「全世代型の社会保障を支える重要な財源」(石破首相)であるはずの消費税が、自動車等の輸出企業へ還付されていることが白日の下に晒されたり、様々な事柄が明らかになってきています。