こうして作られたのが、こちらのマスクです。

「セーヌ川の身元不明少女」のデスマスク
「セーヌ川の身元不明少女」のデスマスク / Credit: commons.wikimedia

少女のデスマスクはたちまち大評判となり、パリはおろか、続く数年のうちにヨーロッパ中で複製が作られ、土産物屋などで売られるようになったのです。

特に1900年以降は芸術家の間で人気を博し、デスマスクを自宅の壁に飾ることが流行となりました。

また、少女のマスクをモデルにデッサンをしたり、彼女の謎めいた人生を小説のネタにすることも流行ったそうです。

フランスの小説家アルベール・カミュ(1913〜1960)は、少女の微笑を「溺死したモナリザ(drowned Mona Lisa)」と表現しています。

画家はデスマスクをモデルにデッサンに勤しんだ
画家はデスマスクをモデルにデッサンに勤しんだ / Credit: Char – De « L’inconnue de la Seine » à Resusci Anne(2022)

もちろん、夢中になったのは芸術家だけでなく、少女の魅惑的な微笑は文化的アイコンとして、ヨーロッパ中の居間に飾られることになりました。

批評家のアル・アルヴァレスは著書『The Savage God』(1971)の中で「ドイツでは、ある世代の女子の大半が少女の顔を見本とした」と書いています。

そして、少女の死から半世紀以上が経った頃、デスマスクはまったく新しい分野で命を吹き込まれることになるのです。

なぜ「史上最もキスされた唇」になったのか?

ノルウェーの玩具職人、アスムンド・レールダル(Asmund Laerdal:1914〜1981)は、1940年代初めから子どものための木製玩具を作るようになりました。

レールダルは戦後、大量生産され始めた新素材のプラスチックに目を付け、柔軟で加工しやすいこの材料を使って、玩具を作り始めます。

その中で生まれた有名な玩具が「アン(Anne)」と呼ばれる少女の人形です。