そして、そういう思い込みに縛られて一番損をしているのは、他でもない自分自身だ。

たいていの場合、こうしたマイルールは「自分の過去の体験」から導き出されたものだ。だからこそ、本人にとっては正しい。でも、それを他人や社会全体にあてはめて「こうに違いない」と思い込むと、だんだんズレが生まれてくる。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という有名な言葉がある。自分の経験だけを頼りにカッチリとルールを作ってしまうと、時代の変化や他人の価値観に対応できなくなる。

自分の考えこそが正しいと信じすぎると、認知が歪み、周囲との関係がうまくいかなくなる。そして気づけば孤立していく……そんな悪循環にハマってしまうのだ。

マイルールを押し付ける人の心理

ここでひとつ疑問が出てくる。なぜ人は、自分のルールを他人にも押し付けたくなってしまうのか?その背景には、「被害者意識」があるように思う。

たとえば「一杯目にビールを頼まない人は空気が読めない」と考える人は、「最初はビールで乾杯すべき」というマナーを忠実に守っている。そのままなら問題はない。でも、ふと「なんで自分だけがちゃんとやってるんだろう」とモヤモヤし始めた瞬間、他人の自由な振る舞いに対してイラ立ちが生まれる。

そして、「これはマナーなんだから」と、自分と同じ行動を他人にも求め始める。

本業に専念してきた人が副業をしている人に違和感を覚えるのも同じ構造だ。「自分はずっと我慢してきたのに、なぜあの人だけ自由なんだ」と感じたとき、そこに“裏切られたような気持ち”や“ズルい”という感情が重なって、「ケシカラン」という思考になる。

でも、そもそも人はそれぞれ違った人生を歩んでいる。そこに同じルールを当てはめること自体が、どこか不自然だ。

極端なマイルールを持つ人の多くは、「自分は我慢しているのだから、お前も我慢すべきだ」という正義感を持っている。そしてその正義感が、他人を縛り、結果として自分自身も縛ってしまっている。