日本独自の前方後円墳が全羅南道に広がっているが、その地域は512年に百済に日本が割譲した任那四県の故地である。もともと、中国南朝において倭王武は「倭・百済・新羅・任那・伽耶・秦韓・慕韓」の支配権を認めるように要求し、百済以外については認められていた。
百済については、直接南朝に朝貢していたため、独立国とされた。新羅は秦韓の一部であるから、これは横浜・神奈川といったような関係である。任那・伽耶も同様である。
百済はもともと京畿道にあったが、高句麗の侵略で南に追いやられたため、雄略天皇が忠清南道付近を下賜したと『日本書紀』には記されている。
日本の文化的な影響も半島でも広汎に見られる。だいたい、稲作にしても寒い朝鮮半島で暖かい日本より早くに広く発展したと考えるのはまったく不自然だ。
『誤解だらけの韓国史の真実 改訂新版』
安重根を「英雄」にして中国や韓国の指導者は後悔しないのか? 「朝鮮は日本の植民地だったか」と聞かれたら正解は? 「日本による朝鮮半島経営」が評価されない本当の理由 「書き言葉としての韓国語」は日本人が創り普及させた 「文禄の役」だけでなく「慶長の役」も実は勝ち戦だった 新羅は日本人が創った国だが新羅の日本への影響は極小 「正しい韓国史」の理解が日本の国益を守る最強の武器だ 任那の日本支配は中国の正史も認めている