遣唐使は古代日本が唐に派遣した使節であり、その中には多くの留学生も伴っていました。

果たして唐への留学生は留学先でどのような暮らしを送っていたのでしょうか?

この記事では唐への留学生が留学先でどのようなことを学び、どのようなところで学んだのかについて紹介していきます。

なおこの研究は、専修大学社会知性開発研究センター東アジア世界史研究センター年報4巻p.89-105に詳細が書かれています。

目次

  • ほぼ漂流同然で唐に向かう一行、マンツーマンで学問を身に着ける留学生
  • 時代が進むにつれて長期留学は減っていった

ほぼ漂流同然で唐に向かう一行、マンツーマンで学問を身に着ける留学生

遣唐使船、一行はこの船で荒れ狂う東シナ海を渡った
遣唐使船、一行はこの船で荒れ狂う東シナ海を渡った / credit:wikipedia

遣唐使は日本が唐の先進的な政治制度や文化、並びに仏教などについて学ぶために、使節を派遣した制度です。

遣唐使が派遣されるペースは時代によって異なりますが、大体10年に一度のペースで派遣されていました。

遣唐使に選ばれる条件として頭のよさや顔の良さがあり、才貌両全の貴族や僧侶が遣唐使船に乗り込むことになりました

遣唐使は当初は朝鮮半島の海岸沿いを船で進んで唐を目指すルートを取っていましたが、朝鮮半島の情勢が悪化したことにより東シナ海を直接横断するルートを取るようになったのです。

遣唐使の唐への渡航ルート、なお実際はこの図に描かれているように入港することはできずどこの港に入港するかはまさに運任せだった
遣唐使の唐への渡航ルート、なお実際はこの図に描かれているように入港することはできずどこの港に入港するかはまさに運任せだった / credit:wikipedia

しかし当時の航海技術が未熟であったことから、唐の特定の港に入港することはまずできませんでした

そのため遣唐使の一行は唐のどこかの港に流れ着いた後、まずはその港がある地方の役人のもとに赴いて、正式な使者であることを確認してもらう必要があったのです。

確認が済んだ後は長安に赴き、皇帝に挨拶しました。その後使節のリーダーらは帰路に着きましたが、同行した留学生(るがくしょう)はそのまま唐に残り、勉学に励んだのです