冒頭の妄言を吐いた政治家たちにしても、そういう戦後教育の気の毒な犠牲者なのだと思う。

そして、韓国・朝鮮人が威勢の良い国粋主義的な歴史観を主張するのに対して、日本人がしっかり自己主張をしないことが、半島の人たちに誤ったシグナルを送り、彼らがさらに国粋主義的、反日的な方向へエスカレートするきっかけを与えている。

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韓国や北朝鮮では政府の統一見解がある。韓国でも在野の歴史家は、日本と同じように左翼的・反権力的であるが、むしろ政府以上に反日であり、国粋主義的で、国益を擁護するという意識はしっかりしている。

さらに、日本における韓国・朝鮮についての歴史観の特殊性として、日本語による半島史の研究をしている人のかなり大きい部分が在日韓国・朝鮮人や、帰化した人であり、日本語文献の読者の大きい部分も彼らだという事情がある。

そういうわけなので、日本の立場に立った日韓関係史とか韓国・朝鮮史というものは確立しようがない。同じ東洋史でも、中国史については、少なくとも日本語文献の主たる読者も研究者でも日本人であるから、中国びいきに少し傾きはする。

そういう傾向は西洋史でも、たとえばフランス史の専門家にはフランスが好きな人が多いというようなことは普通にあるから、韓国・朝鮮史の場合のような特異性はない。

そこで、私の著書のうち、『捏造だらけの韓国史 – レーダー照射、徴用工判決、慰安婦問題だけじゃない』(ワニブックス)などでは、日本としての自己主張を押し立てているが、『誤解だらけの韓国の歴史』(清談社)では、客観的、中立的な見方に立っている。

いずれにせよ、韓国側が自国を弁護する立場で議論しようとしているのだから、こちらもそれを聞き流すのではなく、日本から見ればこういうことになりますよとか、客観的に見ればこうですよと主張したほうが、生産的な議論ができると思う。