「朝鮮は、過去2000年の歴史で、小石一つ日本へ投げたことはない。日本は何度も侵略したにもかかわらずだ」と言ったのは、日森文尋・元社民党国対委員長である。
核ミサイルを巡る緊張のなかで平壌を訪問し、「朝鮮人民は、金正恩委員長の卓越した指導によって一心団結し、核武力建設を発展させ、米国を対話の舞台に引きずり出す決定的な力を保持されたことに敬意を表します。また、ICBM『火星14型』の試射を成功させたことは、この力を益々確固たるものにしました……」と万寿台議事堂で演説もしている(2017年)。
もちろん、これはまったくのデタラメで、高麗がモンゴルと一緒に日本を攻めてきたことすら忘れている。元寇と呼ぶので曖昧になるが、私は「元・高麗寇」と呼ぶべきだと主張している。
あるいは、「天皇家は朝鮮半島から来た」と韓国での講演で平気で話したのは小沢一郎である。しかし、新羅の国王に日本人もいたというのは、高麗時代にまとめられた『三国史記』というあちらの正史にも書いてあるが、逆は日中韓どこの史書にも民間伝説にもなく、現代の韓国人の妄想を、何が根拠か理解不能であるにもかかわらず追従する日本人がいる。
これらに限らず、韓国・朝鮮の人たちの歴史認識と、日本国家が伝統的にとってきたそれとは大きく違っている。
そこで、日本人と韓国・朝鮮の人たちが歴史を議論してもかみ合わない。しかし、そんなものは国と国のあいだでありがちなことなので別に構わない。
むしろ、日本人も韓国・朝鮮の人と同じように、自国の立場からの見方をしっかり確立し、それを主張してこそ、一致点と相違点もはっきりするし、そこを出発点にして議論をしてこそ、相互理解、さらには共通認識というものも形成されていくと思う。
困ったことは、戦後の日本では国の立場からの歴史観が整理されていないことだ。それに乗じて、在野の自称研究者たちなどが自虐史観に基づいて、伝統的に日本政府がとってきた認識を勝手に否定し、教科書をはじめとする教育現場でも垂れ流してきた。