むしろ『三国史記』によれば、新羅建国において日本人が深く関与していたとされ、国王を出した三つの王家のうち昔氏は日本から来たとしている。第四代国王・脱解尼師今については、「倭国の東北一千里の場所にある多婆那国の王妃が妊娠して七年後に大きな卵を産み、不吉であるとして箱に入れて海に流したところ、辰韓に流れ着いた」とされている。このことは系図でも確認できる。

新羅王家の系図
多婆那国については、丹後(かつての丹波の一部)や但馬などが有力視されている。また、初代国王・朴赫居世辰韓の出自も卵から生まれた、すなわち不明であり、彼を助けて大輔という宰相の地位に就いた瓠公も倭人であった。これにより、新羅建国において日本人が中心的な役割を果たしたことが明らかである。
いずれにせよ、日本人が新羅建国期に重要な役割を果たしたとの記述は韓国の史書にも存在する一方で、新羅人が日本の建国に関与したという伝承は、日本にも韓国にも一切存在しない。そのような話は近年になって創作された韓国人による愛国的ファンタジーにすぎず、それに同調する日本人が存在すること自体が不思議である。
さらに、新羅は地理的条件から中国との直接的な接触が困難であり、377年に華北を支配した前秦に初めて朝貢した記録がある。この点で百済などに遅れを取っていたため、日本にとっても新羅から学ぶべきものが多くあったとは考えにくい。
■
『誤解だらけの韓国史の真実 改訂新版』