現在のようなコンクラーベが誕生するまでには長いプロセスがあった。初期キリスト教時代にまで遡る。初期キリスト教では、教皇はローマの聖職者や信徒、時にはローマ帝国の承認によって選ばれた。初期には信徒も選挙に参加しており、教会全体で教皇を選ぶことが一般的だった。

しかし、時代が進むにつれ、世俗権力(特に東ローマ皇帝や神聖ローマ皇帝)が教皇選出に大きな影響を与えるようになり、政治的干渉が増した。それが11世紀に入ると、教皇ニコラウス2世が発布した勅令In Nomine Dominiにより、教皇選出の権限がローマの枢機卿団に限定された。これがコンクラーベ制度の起源だ。

ルネサンス時代(15~16世紀)に入ると、教皇職が政治的にも経済的にも強大化し、教皇選挙がますます政治化した。選挙活動において贈収賄が横行し、一部の教皇は強い世俗的な支持を得て選ばれた。トリエント公会議(1545~63年)で改革の要求が出てきた。教皇選挙をより霊的で公正なものにする改革が求められた。

19世紀初頭、ナポレオンが教皇選挙に干渉したことで、政治からの独立が再び課題となった。20世紀に入り、現代のコンクラーベが確立していく。1970年には選挙権を80歳未満の枢機卿に限定された。教皇死去または退位後、全枢機卿団が召集され、15~20日以内にシスティーナ礼拝堂で選挙(無記名投票)が行われ、当選には投票者の3分の2以上の賛成が必要となった。

イタリアのメディアによると、今回のコンクラーベは短期間で終わるだろうという。なぜならば、参加する枢機卿の3分の2以上がフランシスコ教皇によって任命された聖職者だから、教会路線はほぼ同じで、教会の運営で激しい対立はないからだというわけだ。

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編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。