コンクラーベという言葉はラテン語で「鍵をかけて」という意味だ。フランシスコ教皇が亡くなって以来、メディアの関心は次期教皇選出会のコンクラーベに集中してきた。世界約14億人の信者を誇るローマ・カトリック教会の最高指導者、ペテロの後継者のローマ教皇に誰が選出されるかは、信者でなくても関心がいくものだ。ローマ教皇は単に宗教指導者だけではなく、世界の政情にも大きな影響力を有する政治的指導者の面がある。

黒い煙をだすシスティーナ礼拝堂の煙突(2013年3月12日、オーストリア国営放送の中継から)
「私の審判官であるキリストが、私が神の意思と一致すると信じる人物に投票したことの証人である」
コンクラーベで枢機卿が投票用紙に支持者名を記入した後、祭壇の投票箱に入れる前にこのように宣誓する。そこには「打算や自身の思いではなく、神のみ心を考えて投票しました。キリストこそ私の証人です」といった内容が含まれている。
コンクラーベに参加する枢機卿は個人的にはその信仰生活の頂点に立っている、といった高潮した思いもある一方、体力的にはハードなケースが多い。例えば、75歳以上の高齢者が縦40.9メートル、横13.7メートル、高さ20.7メートルのシスティーナ礼拝堂に隔離状況で長時間、瞑想と投票を繰り返す。体力の消耗も激しい。もちろん、食事、宿泊場所は別だが、テレビ、新聞、携帯電話、ノートパソコンなどは持ち込み厳禁。参加枢機卿との会話以外は外部と接触できないため気分転換も難しい。前回のコンクラーベでは、ミサ中、1人のコンクラーベ参加枢機卿が一時、失神した。疲れとストレスからだ。ただし、病気で倒れても、その枢機卿がローマ入りした後ならば病床からも投票を行使できる。
いずれにしても、ローマ教皇となるため生まれてきた人はいない。ホルへ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)もローマ教皇となるために生きてきたわけではない。フランシスコ教皇が愛するアッシジの聖フランシスコも若き時代、放蕩息子で好き勝手に生きてきたが、ライ病患者や貧者をみて改心していった。フランシスコ教皇も若い時、肺炎で一部肺を切り落としたことが契機となって、神の世界に入っていった。次期教皇に選出される枢機卿にも同じようなドラマがあるはずだ。