たとえば加納藩(現在の岐阜県岐阜市)では、家臣の一部が閉じ込められた主君を救い出すために奔走し、その中には幕府に家老たちの不義を訴えたもののいました。
しかし幕府の裁きではこれらの奔走は全く評価されず、むしろお家騒動の原因になったと厳しく断罪され、訴えた家臣は死罪の判決が下ったのです。
このように主君押込は、ただ単に主君を排除するための単調な手段ではなく、忠誠心と家中の絆を再確認するための、時に哀愁漂う演劇として、江戸時代の中でその普遍性を確固たるものにしていったのです。
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参考文献
Kyoto University Research Information Repository: <論説>近世の大名諸家における主君「押込」の慣行
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/238848
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部