とはいえ、これは家臣たちにとって大きな賭けです。
もしも主君が復帰した途端、「おのれ裏切り者ども!」と報復を始めたらどうでしょうか?
実際、上山藩(現在の山形県上山市)では主君が復帰後に家臣たちへの復讐を試み、二年後に家老が粛清されるという出来事も起きています。
にもかかわらず家老たちが主君に復帰する機会を与えていたのは、主君押込はあくまで主君の不行跡に対する必然的な制裁であり、決して主君に対する反逆行為ではないという考えがあったからであると言われているのです。
しかし主君の再出勤が認められる場合ばかりではなく、中にはそのまま隠居させられる場合もあり、それが最も家老側にとって平和的な解決策と言われていました。
この場合は幕府に対して病気などの理由で隠居願いを出し、幕府はたとえ大名が若くて健康そのもののであったとしても、その理由を疑うことなく隠居願いを受理しました。
もちろん、主君押込が全て再出勤や隠居などといった形で収まるわけではなく、中には暗殺される場合や生涯座敷牢に監禁される場合もあったのです。
家臣が救出することは事実上不可能だった主君押込

このような手順で行われた主君押込ですが、手順の中に幕府の同意を取り付ける場面があることからわかるように、幕府公認で行われていました。
もちろん幕府は主君押込を実行した家老たちに対して厳しい処分を下す場合もあったものの、あくまで主君押込の妥当性や事後対応を問題視して処分を下したのであり、主君押込そのものを問題視していたわけではありません。
また当の主君側も主君押込という行為は家臣たちの正当な行為であると認識しており、それ故主君押込が起こった際に深く反省する主君も多かったのです。
また一旦主君押込で主君が閉じ込められてしまったら、家老たちの許し以外の方法で主君を救い出すことは事実上不可能でした。