こうして、広大なスケールのテキストデータを対象にした先進的な分析は、単に「議会は昔のほうがデータ重視だったかもしれない」という直感を裏付けるだけでなく、「証拠に基づく議論が減ると、どのような社会的・政治的リスクが高まるのか」という具体的なヒントを与えてくれました。

研究チームによれば、エビデンスへの依拠が薄れると、党派対立を埋める共通基盤が弱まり、結果として合意形成が難しくなって立法も滞る可能性があるのではないか、とのことです。

所得の偏在や議会の生産性といった社会課題が、議員たちの「言葉づかい」と意外なほど密接につながっているかもしれない――この発見は、まさにデータが示す大きな警鐘と言えるでしょう。

証拠なき政治の代償――合意形成と社会格差への影響

米国議会の演説は時とともに証拠に基づかなくなってきている
米国議会の演説は時とともに証拠に基づかなくなってきている / Credit:Canva

エビデンス重視の言葉づかいが長期的に衰退してきたという事実は、一見「議会が単に昔と比べて変わった」という話にとどまりません。

合意形成が難しいほどに党派間の対立が深まり、立法の生産性が低下する可能性があるからです。

実際に、今回の研究ではエビデンス中心の議論が減少している時期ほど重要法案の成立数が伸び悩み、さらに社会全体の格差が広がりやすいことが示唆されています。

なぜ証拠に基づく言語の衰退が政治や社会の停滞と結びつくのか。

背景には、エビデンスを共有する姿勢が薄れることで「客観的な材料」を頼りに妥協点を探る仕組みが弱まり、感情や価値観の衝突だけが先立ってしまう構図があると考えられます。 

多くの複雑な課題――格差、環境、医療、教育――を解決するには、膨大なデータや専門家の知見を踏まえる必要がありますが、その手間をかけずに自陣の主張だけを強調すると、政策の落としどころを見いだせず対立が激化しやすくなるのです。

さらに、議会ルールの変遷や、党首やリーダー陣の発言権コントロール、メディア環境の変化なども、直感重視の言葉づかいを増幅させる要因として指摘されています。