ところで、宗教界では超教派運動(エキュメニカル運動)がある。21日、88歳で亡くなったローマ教皇フランシスコは生前、他宗派の指導者と積極的に会合した。宗派の相違を乗り越えて,他宗派への理解を深めていくことで、宗教人の連帯は深まっていく。そして「信仰の隣人」への相互尊重と敬意を培っていく。そこにエキュメニカル運動の目的がある。

ただ、現実は容易ではない。宗教が理由で多くの紛争、戦争が繰り返されてきたのが人類の歴史だ。21世紀の今日でも状況に大きな変化はない。 例えば、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教はアブラハムを「信仰の祖」とする唯一神教だが、本来、兄弟宗教にもかかわらず、争い、いがみ合いを続けている。

神学者ヤン・アスマン教授は、「唯一の神への信仰(Monotheismus)には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げる。自身の神を絶対的に信じる信仰者は他の宗派の神を容認できないからだ。アスマン教授は「妬む神」と呼んでいた。

それゆえに、というべきか、先のチャールズ国王の戴冠式での「信仰の隣人」への擁護者発言は示唆に富んでいる。「信教の自由」を守る運動も同様だろう。チャールズ国王流に表現するならば、「Defender of the Faith」ではなく、「Defender of Faith」だ。自身の宗教だけの擁護者ではなく、他宗派の「信仰の隣人」の擁護者でもあるべきだ。特に、宗教者は他宗派の困窮に対して、無関心であってはならない。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年4月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。