この言葉に適当な日本訳がないのですが、一種の既得権と考えてもらってよいと思います。つまりパチンコ業を昔からやり、それを換金する流れが昔から存在し、警察がそれを厳しく取り締まらなかったことで既得権が生じたわけです。パチンコをなぜ放置したか、いろいろ事情はあるのでしょう。戦後、残留朝鮮人が職に困ったという事情もあったかもしれません。

ではオンラインカジノとパチンコや公営ギャンブルでは賭博の要素である偶然性、常習性、生活基盤崩壊のリスクの違いはと言われればどこまで説明できるでしょうか?生活基盤崩壊のリスクの点でいえば株式市場のオプション取引などデリバティブ系や為替FXだって当てはまりそうです。例えば為替取引はストップロスという仕組みが存在し、為替が急激に動いた際、自分で指定した変動幅を超えると自動的に損失処理されるようになっています。一夜明けたらすっからかんということは大いにある訳です。これとどう違うのか、といえば偶然性だけがその差異ではないかと思うのです。

ここまで類推するととばく罪の趣旨は警察や政府が監理(=監督管理)できる範囲かどうかが一つのポイントではないかと思うのです。オンラインカジノは海外で運営されているのでひどい目にあっても誰も助けることはできません。また派生的にマネロンや犯罪にかかわる可能性もあり、その際に警察に泣きついても対策は極めて困難なのでそれならば「そんな海外の危ないところに行かないで日本の箱庭で遊んでいなさい」というのが本質ではないでしょうか?

大阪のカジノも結局、監理という点が最大のポイントで入場料制度を取り、常習性を和らげるという配慮がなされているわけです。

ここまで考えると日本人は守られているなという気がするのです。海外ではこんなおせっかい、誰も焼いてくれません。リスク管理は自分だけです。「あぁ、彼、自己破産したのね」ぐらいです。かわいそうだから云々という話は日本ぐらいしか聞こえてこないのです。