さらに、朝鮮籍の職業軍人や高級官僚も採用され、出世頭の洪思翊は1914年に陸軍士官学校を卒業し、終戦時には中将まで昇進していた(戦後、フィリピンでの捕虜虐待の責任を問われ、戦犯として連合国軍によって死刑にされたが、多くの人が、独立朝鮮の指導者として最もふさわしかったと証言している)。

私は、「インドやケニアがイギリスの植民地だったのと同じ意味で朝鮮が日本の植民地だったのかといえば、まったく異なる」と考えている。むしろ、イギリスがアイルランドを、ロシアがポーランドやグルジアを領有した状況に近いものであった。

アイルランドに自治が認められたのは1921年、独立国となったのは1931年であり、エリザベス女王がアイルランドを訪問したのは2011年、アイルランド大統領がイギリスを公式訪問したのは2014年である。和解には1世紀を要した。そして、このような地域を一般に「植民地」とは呼ばない。

もっとも、明治期の日本には植民地を持ちたいという見栄のようなものがあり、桂太郎総理が国会で「植民地だ」と答弁したり、村山談話でも同様の表現を用いているため、やや微妙な面もある。また、「アイルランドはイングランドが獲得した最初の植民地だった」という表現も存在する。

しかし、朝鮮を日本の植民地と呼ぶと、イギリスにとってのインドやナイジェリアのような存在だったかのような誤解を招くため、誤解を避けるためにも日本国民は「植民地」という言葉を安易に使わないように心掛けるべきである。

そもそも日本には、イギリスの植民地のように現地から収奪する意図は初めから存在しなかった。特に朝鮮については、目的が経済的なものではなく、国防上の要請に基づくものであった。朝鮮が日本にとって頭痛の種とならないためには、経済社会の近代化が最善の手段であるというのが基本理念であったのである。

『誤解だらけの韓国史の真実 改訂新版』