“空き家や古民家を改築して宿にする”
地方創生や村おこしの一手としてこうした取り組みを行う地域は、今や珍しくはありません。
2019年8月にオープンした「NIPPONIA 小菅 源流の村」もそのひとつ。
舞台となる山梨県小菅村は、近年移住者や観光客が増加し、深刻な過疎高齢化から再生の一途を歩み始めました。
今回は、「NIPPONIA小菅 源流の村」におじゃまし、人々が魅了される小菅村とは一体どんな村なのか、本プロジェクトの裏側についてもお伺いしました。
コンセプトは、“700人の村がひとつのホテルに”
fledge編集部が向かったのはJR「大月駅」。目の前には、岩殿山が顔を覗かせます。新宿からは、JR中央本線特急かいじ・あずさに乗れば一時間弱で到着。
大月駅から「NIPPONIA 小菅 源流の村」へは、無料の送迎があるのでここまで来ればもう安心。都内からは車で2時間程というアクセスの良さです。
送迎車に乗り込み、のどかな風景を横目にひた走ること30分。
立派な日本家屋の門構えが現れます。ここが「NIPPONIA 小菅 源流の村」。
暖簾をくぐると、重厚感を放つ合掌造りの古民家が佇み、まるで昔からずっとここにあった宿なのでは?と思うほど、建物がもつ風格をできる限り残した改修にこだわっています。
そもそも、「NIPPONIA」とは、日本の各地に点在している古民家を、趣を残しながら客室や飲食店などにリノベーションし、その土地の文化や歴史を体験しながら宿泊できる「分散型ホテル」として再生していくという取り組みのこと。
「NIPPONIA 小菅 源流の村」の第一期のホテルとして改修された「細川邸」は、築150年を超える地元名士の邸宅でした。先代の家主は小菅村小学校の校長先生で、村の各家庭にテレビがなかった昭和30年頃には多くの村人が細川邸に集まって、力道山のプロレスを観戦し、盛り上がったのだとか。
村人にとって昔から集いの場だった居間は、「NIPPONIA 小菅 源流の村」のコミュニティスペースとして受け継がれることとなりました。
内装のコンセプトカラーは、グレーとオレンジ。小菅村の基幹産業のひとつである木炭とその熱を表し、空間デザイナーがここで実際に感じたものを、内装デザインのひとつひとつに込めています。
現在客室は4部屋。日本庭園が一望できるガーデンスイートや離れの土蔵ツインなど、元々あった建物の特徴を活かし、コンセプトもそれぞれ。どれも個性的な空間で時間を忘れて寛ぐことができます。
まさに桃源郷のような「NIPPONIA 小菅 源流の村」。
そのコンセプトは“700人の村がひとつのホテルに”
「人口700人を絶対に維持する!そう決めて、5年前このプロジェクトに乗り出しました」と話すのは、本事業をプロデュースした株式会社さとゆめ代表で、当ホテル運営会社・株式会社EDGEの代表も務める嶋田さんです。
「かつて養蚕や農林業で栄えた小菅村は人口がピーク時の3分の1にまで減少し、このままいけば、2060年には300人以下になることが予想されていました。
村の中に70~100棟ほどある空き家や面積の95%が森林という豊かな自然、そのままの村の雰囲気を生かし、この深刻な過疎高齢化を食い止められないか、と考えたのが古民家を利用した「分散型ホテル」。
この宿の形態に込められているのは、“村に溶け込むような宿泊体験”をして欲しいという想いです。宿泊者の中から、移住を検討したり、村づくりの活動を継承してくれる人が出てきたら良いなと思いますね」
成功の鍵は、地域の人に力を貸してもらうこと
空き家を改築した建物を、ひとつの宿とするのではなく“客室”と捉えて、何棟増えても「NIPPONIA 小菅 源流の村」という、村ごとひとつのホテルとしているのがこのプロジェクトの面白いところ。
嶋田さんは、「村のあぜ道はホテルの廊下、道の駅はホテルのラウンジ、村人はコンシェルジュ。村人と会ったら挨拶して、村の見どころなど聞いてみてください、とお客様にお伝えしています。そうやって、村全体がホテルという世界観を作っています」と話します。
しかし、「村全体がホテル」ということは村人の全面的な協力があってのこと。村のおじいちゃんやおばあちゃんたちは、この真新しい事業や“よそ者”が村に入ってくること自体に、反対はなかったのでしょうか?
「もちろん、これまで村になかった新しいものを立ち上げるというのは、誰でもイメージが湧きません。失敗したらどうなるの?と心配になるのは当たり前です。
理解を得るためには、結果で見てもらうしかありません。頑張ります!と言ってしっかり準備すること。そうして物が出来上がってきたり、テレビなどのメディアに取り上げられて注目され始めて、少しづつ不安が消えて、納得していただけるようになってきました」
道の駅の立ち上げからスタートし、5年半小菅村と関わり続ける嶋田さんはさらにこう続けます。
「地域だけでなくて日本人すべてに言えることだと思いますが、何もやらないのが一番のリスクなんです。
人口やお客さんは減っていくので、何か新しいことをやらないと状況は良くならないです。暮らしを維持するには、やるしかない。それで失敗してもそれを糧に修正して、トライアンドエラーを繰り返していくしかないと思います。
協力を得るためには、かっこつけないで、自分たちの小ささ、弱さ、抱えている問題もすべてストレートに出していくこと。地域の中で活動するときもいつもそうですが、大変なこともすべて明かして「力を貸してください」とお願いしています。だから村人に対して、表も裏もないんです」
手厚い対応に、心を動かされる見学者も
村人の温かさや豊かな自然が魅力の小菅村。嶋田さんたちの熱心な取り組みもあり、観光客はこの5年間で約2倍に、さらに今では村の人口の15%が移住者だそうです。
そんな躍進を遂げる小菅村の元教育長、佐藤さんは「多摩川の源流に位置する小菅村には、人々が生きるための源がある、それを多くの人に伝えたい」と言います。
佐藤さんに移住者にとっての村の魅力をお聞きすると、「小菅村は教育にとても熱心です。どんなに少人数だとしても、手厚い教育が受けられるように制度を整えてきました。教育以外にも、0~18才までの医療費は無料にしたり、空き家や住居の手配をしたり、移住者が安心して暮らせる仕組みを大事にしています」とお話いただきました。
最近5年間で子育て世代25家族が移住し、そのすべての家族の住居や仕事について、世話をしてきたという佐藤さん。数年前まで、小中学生の減少が一番の課題でしたが、「源流親子留学」を実施すると、村の魅力を感じて、何度も見学に来る家族が増えたそうです。
移住を検討するひとりひとりを送迎したり、村を案内し、同じ移住者を紹介したり、という佐藤さんや村人の熱心な姿勢に心を動かされて移住を決めたとおっしゃる方も多いのだとか。
オープンさとスピード感を持った村づくり
小菅村が、移住者に対してとても協力的ということがわかりましたが、なぜ5年という急速な速さで、深刻な過疎化を解決への第一歩へと導くことができたのか。ここまでスムーズに課題を解決する力の裏にも、秘密がありました。
それは小菅村が兼ねてから持つ、オープンさとスピード感。
「小菅村には外から来た人の意見をしっかり聞き、おもしろがるというオープンさがあります。そこには、700人という小さい村だからこそ持つ危機感が大きく影響しています。
歴代の村長さんが、このまま村を存続するには新しいことをしなくてはならない、と村人に呼びかけていました。それがひとりひとりに浸透しているのだと思います。
それと、行動を起こすスピード感があります。村の議員も8人とコンパクトで、移住者に対しての対応も迅速です。小さな村ならではのスピード感が、新しい事業を進めるにあたってもプラスになっているのではないかと思います」と嶋田さん。
実は、すでに「NIPPONIA 小菅 源流の村」の第二期も動き始めています。
「細川邸」の次は、小菅村の特徴的な地形である、急峻な斜面に建つ古民家。その特徴を活かした眺めの良さが魅力となりそうです。
小菅村を案内していただいた嶋田さん、ありがとうございました!
文・川西里奈/提供元・Fledge
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