黒坂岳央です。
「それって労力に見合うリターンある?」
最近、どこでも耳にするこのセリフこそが、現代の「コスパ思考」を象徴している。時間・労力・お金の投資に対して、いかに高いリターンを得るか。その考え方は一見合理的で、過去には「小賢しいが賢い人たち」として評価されてきた。
しかし、今やこの思考法は大衆そのものになりつつある。そして皮肉にも、「大衆化」された時点で、そこには大きな成功の余地はなくなっていく。
なぜなら、統計的にも歴史的にも、大衆の行く先に大きなリターンは存在しないからである。現代においても、あえてコスパの悪い道を選んだ者こそが、最後に抜きん出ていくのだ。

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コスパ思考=短期的リターン至上主義
コスパ思考とは、「短期間で、最小の努力で、最大の利益を得たい」という志向性のことである。
たとえば、勉強においては「最短・最速で合格点を狙う」価値観であり、仕事においては「時給が最も高い案件に応募する」という短期的最大化を求める行動が典型である。
確かに、その場では“正解”のように見える。だが、その思考を継続していくと、努力に見合った価値の成長が止まり、「年齢に見合わぬ市場価値の低さ」という落とし穴にハマることになる。
なぜなら、現実には――大きな成果は「非効率の先」にしか存在しないからである。
時給思考の末路
コスパ至上主義の人間は、「時間あたりのパフォーマンス」に極端に執着する。労力とリターンを天秤にかけ、瞬時に「割に合うかどうか」を判断する。これがいわゆる「時給思考」である。
この思考では、自己研鑽や新しい挑戦、未来への種まきといった即効性のない行動は「コスパが悪い」と切り捨てられる。その結果、「今だけ・金だけ・自分だけ」という極めて短期的な判断に陥る。
筆者が若い頃、氷河期世代の周囲にも「正社員は給料低くてコスパが悪いから一生派遣でいいや」という声が多く聞かれ、「フリーター」という生き方が流行ったこともあった(そもそも氷河期世代は大変就活に苦労したタイミングであったが)。