まだ薄暗いうちに起床し、身支度を整えてから車で出勤。身支度の順序から各トイレを回るルートまで、平山の一日は細部まで決められた手順に沿ってきちんと繰り返される。
その丁寧な姿勢は仕事でもいかんなく発揮され、もう一人の若い相棒が呆れるほどに平山の作業内容は丁寧でけして手を抜くことはない。
とはいえ、そんな平山の生活にもささやかな変化は紛れ込んでくる。新たな出会いがあったり、ずっと疎遠になっていた親族と再会したり。
決められた日々を繰り返す平山と違い、周囲はある意味、そうした秩序をはみ出して生きている。行動も予測できないし感情表現も豊かだ。
平山も振り回されるし、時に感情もつられて表に出てしまう。
そして、あるささやかな(だが恐らく本人にとっては重要な)出会いの翌朝。いつものように車で出勤する平山の顔は、なぜか泣いている。その表情は何かを悲しんでいるようにも逆に笑っているようにも見える、というシーンで終幕。
多くの人は、平凡な労働者である主人公が、日々のささやかな出来事に幸せを見出そうと努力し、その日々の中で抱いた喜びと悲しみに対して感情をあらわにするのがラストシーンだ、それも含めて「PERFECT DAYS」なのだ、といった解釈だと思います。
何を隠そう、筆者も最初はそう思っていましたし。
ただ、一部の人は、平山は自身の人生に後悔を感じており、それがラストの涙の意味だと感じるそうです。家庭を作るでもなく、自分の好きなことだけをやって生きているように見えるのが理由のようです。
ところで、筆者が知人と話していてさらに別の3つ目の解釈があるのでは?と思うに至ったきっかけについて。
ラストシーンで、もし主人公がニコニコしながら「よーし今日もがんばるぞ」ってやった瞬間に映画の世界観が崩壊し、なんだかよくわからない2時間ドラマみたいなノリになってしまうだろう、という点で意見が一致したからですね。