1. 気候モデルの神格化 気候モデルは「仮定に基づく未来の可能性のひとつ」にすぎないにも関わらず、未来を確定的に予測する道具として扱われることがある。これは、科学ではなく予言や占いに近い使われ方といえる。

2. 数字の呪術化(例:「97%の合意」) このような数字は、「多数派が正しい」という論理のすり替えに使われやすく、議論や反証の余地を奪うために利用されることがある。

3. 道徳と結びついた主張 「子どもたちの未来のために」「地球を救うために」というフレーズが、科学的懐疑や反論を倫理的に封じるために使われることがある。これも疑似科学的手法といえる。

一方、真正な科学とは常に反証を許し、新たなデータに開かれていることである。どんなに高名な科学者でも、どれほど「合意」があっても、絶対に正しいと断言した瞬間に科学ではなくなる。

気候変動の議論も、政治・経済・倫理が絡む重要なテーマであるからこそ、科学は科学としての姿勢を保ち続けることが必要であり、私たちも、「誰が言っているか」ではなく「どういう論拠で言っているか」を見極める目を養う必要がある。

表1に両者の違いを比較してみた。

表1 真正科学と疑似科学の比較表(註)RCP:代表的濃度経路シナリオ、SSP : 共有社会経済経路シナリオ

おわりに

科学は「疑うことを恐れない営み」であり、異なる見解が存在すること自体が、科学の健全性を保つ条件である。特に気候変動のようなテーマでは、「科学のふりをした信念体系」に注意が必要といえる。

気候が重要な課題であることは疑いようがない。しかしその解決に向けた議論は、一つの見解だけに依拠すべきではない。「科学者が何パーセント同意しているか」という数字に惑わされず、多様な視点を尊重し、異なる意見にも耳を傾ける柔軟さこそが、民主主義と科学の健全な発展を支える土台となる。