農家は明治以降、貿易や産業の発展のおかげで生産コストが下がり、年貢に代わる税金も低くなり、さらに兼業も可能になったことで豊かな暮らしができるようになった。したがって、産業の犠牲になっているという認識はとんでもない誤解である。

私の主張は、先進国の農業はある程度保護されるのは当然としても、一定の年限を設けて関税率を数十パーセントで自由化し、それを追い風として経営の合理化を進めれば、それほど生産は落ち込まず、米価も安くなるというものである。

米が安くて美味しくなれば、需要もある程度は伸びるだろう。また、高級米は海外に輸出し、低価格米は一定割合を輸入するのが、安定的な食糧供給というものである。

食料安全保障とは、不作などの非常時に食料価格が急騰しても、外貨の乏しい国で食料が確保できなくなるような事態を防ぐことである。ところが、日本では平時にもかかわらず、国際価格の数倍から十倍もの米価が続いており、本来あってはならないことが毎年起きていることになる。

日本には外貨が潤沢にあるため、世界的な食糧不足が起きても、現在の国内米価を払えば米を確保することは可能である。

では、隕石でも落ちて異常気象になったらどうするかと言えば、そのときは日本国内の稲作もできない。世界大戦になって輸入ができなくなったらどうするかと問われれば、そのときは石油なども入って来ないため、農業そのものが成り立たない。