兼業農家を含めた日本の農家全体の所得に占める農業所得の割合は、農林水産省の統計によると、約20%以下とされている。専業農家も存在するが、そのほとんどはサラリーマンを退職したあとに農業が副業から主たる収入源になった人たちであり、通常は厚生年金の受給者である。

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農業所得がゼロになっても、ほとんどの農家は主たる収入源を失うわけではない。うっかりすると、兼業農家にとっては、働いている工場が閉鎖になるなど産業衰退の方がよほど大きな問題である。

農業保護を必要としているのは農家ではなく、農業政策に寄生している人たちである。

国産米を守れと言っている人は、近代的な農業経営、しかも大量生産も可能な米という作物を、農家平均1.8haという小規模で、専門的な技術や経営ノウハウもないまま生産し、その結果、国際価格の数倍で流通させ国民に食べさせる状況を続けたいと言っている。そして、国内が不作になったり、買い占めやパニック買いが起きたときには、価格が急騰しても構わないと思っているようだ。

あまりにも極端な保護策をとっていることが、海外から経済効果だけでなくモラルの面でも問題視され、結果として自動車などほかの分野で譲歩させられ、日本経済に莫大な損害をもたらしても構わないという主張をしていることになる。

自動車など工業製品のために自由貿易を標榜するから農業が犠牲になっているという農業専門家がいるが、江戸時代に戻るとすれば、石油も電力も農業機械も農薬も化学肥料もなしに田畑を耕し、大八車でも引いて出荷するのだろうか。

江戸時代の平均的な自作稲作農家は、収穫した米のうち約40%弱を年貢として領主に納め、翌年の栽培用として約10%を種籾として確保し、家族の食料として約30〜40%を自家消費し、残りの10〜20%を市場で売却して現金収入としていた。

小作農はさらに地主の取り分が20%ほどあったため、自家消費分や現金収入はさらに少なかった。