たとえるなら、日本の証券会社は、遊園地で絶叫マシーンの安全な乗り方を案内してくれる係員のようなものです。それに対して投資銀行は、自分で絶叫マシンを設計し、「大丈夫、俺が最初に乗る!」と叫びながら飛び乗っていく設計者のようなものです。成功すれば自信も大興奮を楽しめますが、もし設計ミスがあれば自分も吹っ飛びます。そんなイメージが投資銀行です。
だからこそ、アメリカの投資銀行が破綻したときの影響は、単に証券会社がひとつ潰れたという話ではなく、“金融の仕組みをつくっていた側”が突然崩れたということなのです。
さらにリーマン・ブラザーズの創業は1844年です。これは、日本でいえば江戸時代後期・天保15年にあたります。
黒船が来航するペリーの来日(1853年)よりも前、まだ日本が鎖国していた時代に、リーマンはすでにアメリカの南部で商業会社としてスタートしていたのです。
つまり、幕末、明治維新、大正デモクラシー、昭和の激動を超えてようやく戦後に銀行制度が整った日本に比べ、リーマンはそのはるか前から金融の現場にいた「超老舗」ということになります。
三井、住友、三菱などの財閥系グループの中核企業は日本の近代資本主義とともに歩んできた巨大企業です。これらが突然崩壊したら「日本経済の歴史そのものが揺らぐ」衝撃になるでしょう。
そのくらい信用や実績のある企業だったので、リーマン・ブラザーズの破綻は世界中の人々にとって衝撃だったのです。
しかし不思議なのはリーマン・ブラザーズがMBSを作って販売するだけでなく、自らも大量保有していたことです。
なぜ危険だとわかっていたのに、リーマンは止まれなかったのか?
MBS(住宅ローン担保証券)の仕組みを知れば、多くの人が「これは危ない」と感じるでしょう。
実際、当時の金融関係者の中にも、そのリスクに気づいていた人は決して少なくありませんでした。にもかかわらず、なぜリーマン・ブラザーズのような巨大な投資銀行が、その“危険な商品”を作り、自ら保有し、最後には破綻してしまったのでしょうか?